変化を受け入れて進化する
社員をハピネスにするための経営
2019.4.8
自社プロダクト“Sleipnir”の開発から歴史をスタートさせたフェンリル。
iPhoneの日本発売時には、いち早くスマートフォンアプリの可能性を見出し、デザインにこだわるアプリケーション開発の部門を立ち上げた。そして創業から15年を迎えた今、フェンリルのアプリ開発は、400社、600本という確かな実績を重ねている。
「デザインと技術でユーザーにハピネスを」という使命を果たすため、経営陣はどのような判断をしてきたのかー。
会社の礎を築いてきた一人であるCOOの芹澤は、社員のハピネスを第一に、経営を安定させることに尽力してきた。長いキャリアのなかで、常にチャレンジを続けてきた芹澤の信念を通して、フェンリルのこれまでの歩みをたどる。
自分らしく働ける環境に身を置く
キャリアのスタートについてお聞かせください
新卒で製鉄会社に入り30年勤めました。製鉄会社では新入社員は全員が製鉄所勤務となるので、私も7年ほど勤務していました。4年間は、製品である鋼材や原材料、資材の受入れ払出し業務を、その後3年間は労務管理、庶務、総務、製鉄所内に入ってもらっている協力会社との作業契約などを担当していました。
本社勤務になってからは、企画部で予算編成や特殊原価調査などの仕事をしていましたが、その後は経理部で決算業務全般を担当し、係長、課長として経理実務を担っていました。
これまでの仕事で印象に残っていることはありますか?
長くサラリーマンをしているので思い出すことはたくさんあるのですが、前々職でスポンサー企業として更生管財人のお手伝いをしたことでしょうか。会社更生法と民事再生法に関わる業務で、それが自分のなかでは仕事としてやりがいがあったという印象がありますね。
当時は総務部長をしていて、更生法に詳しいわけではなかったのですが、会社再建ということになるとどうしても数字を見る必要があったので、長年経理の仕事をしていた私が担当することになりました。
それまでは、経理や総務、人事の仕事をしていたのですが、会社再建のためのターンアラウンドマネージャーの資格取得の勉強をしたり、会社でサラリーマンをしていたら普通はなかなかできないような経験をしました。
つらい仕事もあったと思うのですが
前職では、大規模なリストラをする側の立場になってしまい、苦しい判断をしなければなりませんでした。そういう立場にいる以上は仕方なかったのですが、精神的にも疲弊しましたね。
私自身は退職を勧奨されませんでしたが、責任のある立場の者がけじめをつけるべきだという想いがあったので、次の就職先も決めずに全てが終わった後すぐに退職しました。社員をリストラしておいて自分は会社に残るというのは、私にはできなかったので。
転職に対して不安はありませんでしたか?
もちろん不安はありました。でもそれ以上に、早々にけじめをつけたいという想いと、また新しい仕事にチャレンジできるという気持ちが上回っていました。ただ、その時はもう50代後半になっていたこともあって再就職はなかなか厳しかったですね。
書類選考で落とされることも少なくありませんでしたし、自分の経験を活かして働きたいと思える会社に出会うまで4ヶ月ほどかかりました。そんなときに出会ったのがフェンリルでした。
フェンリルに入社を決めたきっかけは何でしょうか
大きい理由の一つに、フェンリルの価値観、行動規範を記した“クレド”が素晴らしかったということがありますね。いくつか項目があるなかで、『私は、邪悪なことはしません』という一文があって、大変感銘を受けたんです。なかなかこういうことをクレドに記せる会社はないと思い、前職の同僚に自慢したほどです。
社員を大切にするという想いも溢れていて、『フェンリルはあなたが安心して生活できることを約束します。』という宣言にも心を動かされました。前職ではしたくないリストラをして、もうあんなことを経験したくないという気持ちもあったので余計に。それで、このクレドを実現していくために少しでも役に立つことができれば、という想いで入社したんです。
異業種への転職でしたがギャップはありませんでしたか?
これまでは製鉄会社や精密機械会社など、規模の大きい上場企業で働いていましたから、当時まだ30数名ほどだったフェンリルでは色々とカルチャーショックは受けました。
入社後は管理部門に配属されたのですが、当時フェンリルはまだ共同開発部門を立ち上げたばかりで、管理部門と言っても今のように機能しているわけではなかったですし。予算計画もない状態だったので、まずは前年までの売り上げなどを見ながら予算案をつくりました。
すぐ軌道に乗ったのでしょうか
当初、共同開発部門はしばらく赤字でした。お客様からのお支払いが滞るということは一度もなかったので、利益よりも費用の方が上回っていると考え、開発にかかっている工数を見てみると、見積もり工数100に対して実際は200工数かけていたりしたんです。
200工数かかるのであればはじめからその見積もりを出すべきところ、当時は「アプリの開発は工数が増えるのは当たり前」「お客様が希望すれば追加の作業が発生するのは仕方がない」という考えでした。全員が「いいものをつくる」ということを一番に考えていますから、工数管理にまで気が回っていなかったんですね。
いいものをつくるためにクオリティの高い仕事をしたいという想いは理解できますが、それならば追加で請求しなければいけないということを、職人気質のデザイナー、エンジニアに理解してもらうのは大変でした。
理解してもらうためにどのような取り組みを?
随時進捗を確認して、現時点でどれくらいの工数がかかっているのかなどを意識するように、社員一人ひとりに進捗工数の管理を徹底しました。お客様から追加の機能を相談された際は、担当エンジニアの裁量で決めるのではなく、きちんと営業を通して対応するべきだという話もしましたね。
共同開発という立場で取り組んでいるのであれば、尚更それは徹底しなければならないと感じていましたし、フェンリルのデザインと技術は大変価値のあるものですから、それに見合う報酬をいただくのは、デザイナー、エンジニアへの評価そのものでもあるんです。
幸いなことに、私がそういう取り組みをはじめてから営業の方々の頑張りで順調な受注をいただけるようになり、次の年から赤字は解消されました。功績だと言ってもらえることもありますが、とんでもありません。社員の努力があってこそで、私は当たり前のことをただ普通にしただけです。
自分に向き合い、チャレンジを続ける
仕事、人生において意識していることはありますか?
『物事を前向きに考える』ということを座右の銘にしています。これは、医師の日野原 重明先生の講演を聞きに行ってからずっと心に留めていることです。
『物事を前向きに考える』『愚痴をこぼさない』『感謝の気持ちを忘れない』という話をされていたのを聞いてそれ以来、自分の信条にしています。
また、50代になってから中村天風の本に出会って、天風の教え、考えというものに感銘を受けました。『運命を拓く』という著書は何度も読んでいますが、いつもこれを読むと心がすっきりするんです。まだ人間ができていないから腹が立つこともありますが、なるべく平常心で、自分の心をコントロールすることを心がけています。
プライベートではどのように過ごされているのでしょうか
フェンリルのクレドに、『私は、自分のことが大好きで、自分の人生が一番大切です』という一文があるのですが、そのためにも私は社員に対して、やりがいのある仕事の合間に余暇を活用して人生を楽しんでもらいたいと思っています。
私自身もプライベートを大切にしていて、そのなかでも山に登ることはライフワークの一つになっています。
単純に、自然が好きで山が美しいと感じるからということが第一ですが、私は自分自身をなまくらだと感じていて、心身を鍛えなければならないと思っていました。ですから過酷な山を登って自分を極限状態に置き、精神を鍛えようと。
そして山というのは、どんなに苦しくても一歩一歩前に進めば頂上に着きますよね。それが本当に魅力的で、諦めないかぎり頂上に着くという確かなことに魅了されたんです。
充実した人生のために意識されていることはありますか?
50代になってから、健康には大変気を使うようになりました。人間はこの身体と心を使って生きていて、その人間の身体は食べ物でつくられています。ですから食べるものは自分の身体にいいものを食べないといけないと考えるようになったんです。
薬を飲んで健康になるということではなく、身体がよくなるものを選んで食べるということを考えていたら“薬膳”に行き着いて、普段の食事に取り入れるようになりました。それから漢方にも興味を持つようになって、3年ほど学校に通って勉強をし、漢方養生指導士の資格も取得しました。
健康でいれば、いい仕事ができてプライベートでも様々なことにチャレンジできますよね。フェンリルの社員だけではなく若い世代には、自分の身体の管理をしっかりして社会人としての意識を持ってもらい、人生を謳歌してほしいと思っています。
常に何かにチャレンジされているように感じます
私にとってチャレンジを続けるというのは、仕事にしても日常の生活にしても当たり前のことで、チャレンジをしないということが考えられません。
『生成化育』というんですが、常に変化している世の中に我々は身を置いています。世の中は変化していて、生まれ変わっているということなんです。そういうなかに人間がいるわけですから、変化していくのは当たり前ですよね。
人間としてチャレンジを重ねることは当然のことで、企業も同じだと思いますよ。企業が新しいことにチャレンジしない、変化を取り入れようとしなかったら終わってしまいます。生きている限りは、変化し、創造していかなければならないと私は思います。
目標のために突き進むだけ
今後のビジョンについてお聞かせください
とにかく「フェンリルをもっと“いい会社”にする」ということですね。それを実現するために『フェンリルを100億企業にする』ということを掲げていますが、これは入社する前から社長にも言っていました。
自分のなかではずっとその目標を追いかけながらやってきたのですが、それが届かない目標ではないと感じるようになったころ、社員にも伝えるようになりました。ビジョンとして全員で共有したほうがいいと思ったので。
ビジョンに対しての反応はいかがでしたか
当時は様々な意見があって、「どういう会社にしたいかというビジョンを数字で言われても伝わらない」など議論になることもありました。でも私は、単純に儲けの話をしているわけではないんです。「いい会社にする」という目標のなかで、数字というものは分かりやすく大きな助けになるというだけで。
会社の規模が拡大すると経営が安定して金融機関の与信も大きくなり、事業を通して社会に大きな影響を与えることで、社員の労働条件も向上させることができます。
フェンリルは、クレドを実現するために事業活動をしていて、第一に社員がハピネスを感じること、その結果、多くの人にハピネスを提供することができるという考えです。
社員一人ひとりに意識してほしいことはありますか?
経営の視点と社員の視点は少し違う面もあるとは思いますが、揺るぎないのは
「フェンリルの目的は世の中をハピネスにする」ということ。それを社員にも共有してもらいたいという一点です。
自信があるものをつくって提供するんだという想いを持って日々の業務に取り組んでくれている社員がいるからこそ、フェンリルが成り立っています。いいものをつくれば、あとで売り上げがついてくるということだけであって、売り上げのために仕事をしているわけではありません。
自分たちが何をつくって世の中をハピネスにするのかを考えてほしいですし、自分たちがつくったもので多くの人々がハピネスになるということに誇りを持ってもらいたいです。
COOとして目指していくこと
とにかく社員には、心身ともに豊かに生きてもらいたいと切に思っています。そのなかで、フェンリルでいい仕事をして社会に貢献しているということで生きがいを感じてもらえたら、こんなに幸せなことはありません。
そのためには、社員の待遇面などもっと良くしなければならないことはたくさんありますし、まだ道なかばだと思っています。実現のために、組織的にも財務的にも企業の体力をつけながら、これからも目標に向かって進んでいくだけです。
- Editing : Ai Takashima
- Photographs : Ikunori Moriwaki
- Location : 慈光院